仙台藩祖伊達政宗(1567~1636年)と涌谷伊達家の関係に焦点を当てた講演会が19日、涌谷町涌谷公民館で開かれた。仙台市歴史博物館青葉城資料展示館の主任学芸員、大沢慶尋さんが約110人を前に講演。政宗の信頼の厚さから伊達家一門に列せられた涌谷伊達家を詳しく解説した。涌谷伊達家初代当主、伊達定宗(1574~1652年)の父・重宗は伊達家重臣、亘理氏。政宗の岩出山転封に伴って百々城(大崎市田尻)、後に涌谷に移り、定宗に家督を譲った。06年に政宗の庶子宗根に末娘を嫁がせて婿養子とし、隠居領(高清水城)と合わせて亘理氏の名跡を継がせた。このため既に亘理氏を相続していた定宗は、代わりに伊達姓を名乗ることが許されたとされる。講演で大沢さんは、政宗が重宗の父元宗の死去後に重宗に宛てた書状を紹介。重宗が政宗に献上した元宗の形見の刀が重宗に戻されたことや、上洛の遅れを認める記述もあり、「政宗と重宗の心の交流が見て取れる」と評価した。15年の書状案には、徳川家康が大坂冬の陣で豊臣方と和睦を成立させたことや、江戸幕府将軍秀忠が政宗庶長子秀宗に伊予10万石を与えたことが記され、「重要事項を報告する関係だったことがうかがえる」と語った。