太平洋戦争のさなか、旧鳴子町(現大崎市鳴子温泉)などであった集団学童疎開を振り返るパネル展が、JR鳴子温泉駅待合室2階で開かれている。疎開児童や町民が語る当時の記憶を写真とともに伝えており、訪れた観光客らが関心を寄せている。17日まで。戦争末期の1944~45年、東京や横浜など大都市の国民学校1~6年生約45万人が戦禍を避け、農村部へ疎開した。旧鳴子町や隣接する旧川渡村のホテル、旅館にも東京都小石川区(現文京区西部)、浅草区(現台東区東部)などから延べ約6500人、鳴子、川渡両町村人口の3分の2に上る学童が身を寄せた。最初のパネル展は終戦から50年後の1995年、鳴子町観光協会が企画。鳴子町の人たちと50~60代を迎えた疎開児童に取材し、パネル7枚にまとめた。それ以来の開催となる今回は、戦後80年の節目に当たり、当時の出来事に関心を持ってもらおうと、鳴子温泉観光協会が実施した。