2026/02/13


校内で原爆パネル展

 広島と長崎の原爆被害を伝えるパネル展が美里町青生小(鈴木良幸校長、児童数68人)で開かれている。戦後80年が過ぎ去る中、子どもたちが生々しい写真を通して平和の尊さを実感している。パネルは、町が加盟し、核兵器の廃絶と恒久平和の実現に向け活動している「日本非核宣言自治体協議会」(加盟368市町村)から譲り受けたポスターをもとに町が制作した。平和に対する児童たちの意識啓発を図ろうと、巡回展として町内全6小学校で毎年1校ずつ展示していた。戦後80年が過ぎて記憶の風化が進んでいることもあり、本年度から年間2校で開催することにした。同校の図書館に並べたパネルは15枚。雲を突き抜けて広がったきのこ雲とその下に広がった廃虚と化した市街地、放射能で髪が抜け落ちた少年や強烈な熱戦で溶けたガラス瓶などを写した写真のほか、世界で進む核軍拡の現状を伝えている。

 

めでたく満100歳

 大崎市岩出山下川原町の名取美惠子さんが9日、満100歳の誕生日を迎えた。この日は伊藤康志市長ら市と市社会福祉協議会の代表が名取さん宅を訪れ、

祝詞と花束を手渡して長寿を祝った。名取(旧姓・元泉)さんは1926(大正15)年、東京府豊多摩郡大久保町(現・東京都新宿区)に生まれた。陸軍少将だった元泉馨氏の三女で、父の仕事の都合で香川や千葉、母方の実家がある志田郡敷玉村(現・大崎市古川敷玉地区)などで過ごした。戦後間もなく岩出山の名取家に嫁ぎ、子ども3人、孫8人、ひ孫1人に恵まれた。現在まで約75年間、岩出山で過ごし、今は長男の吉蔵さんと2人暮らし。食事は軟らかくしているものの何でも食べ、自宅では自らの足で移動しているほど元気という。名取さんは「人生は雨の日も風の日もあるが、今日は晴れの日。皆さんのおかげで元気に過ごせて、本当に幸せ」と話し、集まった人たちや家族に感謝を伝えていた。

4施設の愛称披露

 大崎市は9日、4施設のネーミングライツパートナー決定報告会を市役所で開いた。4月1日から、岩出山体育館は「岩出山ガスわんぱくアリーナ」、化女沼古代の里は「我妻建設化女沼パーク」、荒雄公園は「カラフル夢広場」、田尻文化センターは「ODKたじりマガンの里ホール」の新愛称で3年間運用する。行財政改革に伴う財源確保の取り組み。昨年度に続き2度目の事業で、企業の愛称がつく公共施設は今回含め市内計8施設となる。

 

涌谷高書道部の書作展

 涌谷高書道部の書作展が涌谷町くがね創庫で開かれている。部員のほか、児童や園児の作品合わせて約100点が並び、訪れた人たちが力強くも細やかな筆遣いに見入っている。14日まで。1年間の活動成果を紹介しようと、毎年この時期に開催している。20回目となる今回は、島瀬来夢部長(1年)ら部員全4人が自作の言葉をしたためた作品や臨書、本年度県高校書道展覧会の出品作を掲げた。このうち、先月の書き初めで書いた「竹馬の友」はことしの干支にちなんだ作品で、縦約4㍍、幅約2㍍の大作。伸びやかな筆遣いが若々しさを感じさせている。

 

「切込焼き」巡る〝物語〟

 歴史講演会「きりごめ浪漫海道~古道に残る切込焼モノがたり~」が7日、加美町中新田公民館で開かれた。同町の切込焼記念館学芸員、畠山静子さんが幻の磁器と呼ばれた切込焼と磁器を支えた周辺地域の人々の営みなどについて語った。切込焼は、江戸時代後期から明治時代初期にかけ、同町宮崎切込で生産された陶磁器。仙台藩の御用窯として上級品を焼く一方、庶民向けの日用雑器も生産していた。白地に藍色で文様が描かれた染付磁器が主流。講演では、中新田地区から同町と山形県最上町を結ぶ田代峠までの古道「最上海道」をたどりながら、各地に残された切込焼に関する紀行文や残存物、信仰などを紹介。宮崎湯倉産の陶石で作った湯のみ茶わんを所持していた中新田の商人、切込焼を記念品として贈呈していた宮崎の地元有力者、切込焼戸山の永続をかけ資金調達に奔走した仙台藩士、中新田代官・石川平八郎にも触れ、「腕の良い職人だけでは焼き物は作れない。人夫や役人、商人、協力者がいてこそ切込焼は明治の初めごろまで存続できた」と結んだ。

 

昔遊びで世代間交流

 大崎市岩出山小の1年生40人が10日、同校で昔遊びを通じて地元の民生児童委員と交流した。めんこ、こま、あやとりなどを大人から教えてもらった児童たちは、夢中になって遊んでいた。少子高齢化で機会が減っている世代間交流の場を設け、子どもたちに地域を思う気持ちを育んでもらおうと、市社会福祉協議会岩出山支所が岩出山の児童生徒を対象に行っている取り組みで、題して「おらほの特技教えてけさいん教室事業」。この日は民生児童委員9人が講師を務めた。用意された昔の遊びは、めんこ、こま、あやとり、羽根つき、お手玉の5種類。初めはなじみの薄い遊びに戸惑ったり、うまくできず「難しい」と顔をしかめたりしていた児童たちも、遊び方を教えてもらううちに徐々に熱中。ひもを使ったこま回しや難しいあやとりの技にも挑戦していた。