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早坂さんが住んでいた東京都墨田区石原付近 |
失われた39年間・早坂勝男さん拉致疑惑 第3回
2007年2月22日付
早坂勝男さんの妹、さつよさん(59)=宮城県色麻町四釜=は、兄が1965(昭和40年)ごろ、正月で実家に帰省した際、カラーのカレンダーをプレゼントされたことを思い出す。「『すごいだろ。お兄ちゃん、こんなのも印刷できるんだよ』っていうんですよ。『お兄ちゃん、やろうと思えばにせ札だって作れるよ』って」。
兄、才治さん(66)=東京都江東区塩浜=も長年、弟の一言を気にかけている。67(昭和42)年ごろ、当時営んでいた都内のクリーニング店に勝男さんがひょっこり現れ、他愛もない会話の後に悩みを打ち明けた。
「最近、だれかに尾行されているんだ」
「だれに」と才治さんが聞いても、勝男さんは「分からない」と言い残してその場を去った。「借金をつくって暴力団員にでも追われているんだろうかと心配したが、もしそうでも、そのうち相談があるだろうと思い、深く追究しなかった」(才治さん)。
勝男さんは68(昭和43)年2月ごろ、実家に「仕事で親指と人差し指をけがした。2カ月ほど入院するけど、大したことはない」と連絡。その後、消息が途絶えた。
当時、勝男さんは職場から約5キロ離れた墨田区石原付近の6畳1間のアパートに、福島県出身の男性と2人で暮らしていたとされる。68年10月ごろ、ルームメートから「もう何日も帰っていない」と連絡を受けて、家族らは初めて失踪(しっそう)の事実を知った。
兄、勇治さん(69)=千葉県鎌ケ谷市=らがアパートを訪ねると、部屋には洋服たんすやワイシャツ、ネクタイ、スーツ、登山靴、アルバム、印鑑、健康保険証、預金通帳などが残されていた。
一方、趣味のカメラや着替えはなかった。「数日間、どこかに外出したような雰囲気だった」(勇治さん)。
失踪発覚から数カ月たっても勝男さんからの連絡はない。同郷の友人や職場に聞いても足取りはつかめない。勇治さんは管轄の本所警察署に家出人として相談したが、担当した警察官から「何年後かに子どもを連れて現れますよ」と諭され、捜索願は提出しなかった。
当時、拉致(らち)と想像することなどできない。今となっては「どうしてあの時もっと詳しく調べていなかったのかと悔やまれる」(勇治さん)。(第一報道部 板垣 英人)