中学時代の早坂さん
(前列右、写真を一部加工)

仕事熱心な少年時代
好条件求め印刷会社へ転職

失われた39年間・早坂勝男さん拉致疑惑 第2回

2007年2月21日付

 早坂勝男さんは1944(昭和19)年1月22日、宮城県加美(旧小野田)町上野目の農家の7人兄妹の5番目として生まれた。父の勉さん=81年6月に死去=はビルマ(現・ミャンマー)に出征中。名前には「お父さんが戦争に勝って無事、帰ってきますように」という家族みんなの願いが込められた。

 当時の農家はどこも貧しかった。早坂さん一家は田んぼのほかに牛や馬、ヤギ、ニワトリを飼い、野菜を育てて生計を立てた。幼い兄妹も毎日働いた。

 勝男さんはヤギとニワトリの世話を担当。朝、学校へ行く前にえさを与え、夜も真っ暗になるまで汗を流したという。学校の宿題ができず、廊下に立たされることも珍しくなかった。

 仕事の合い間をぬって友人と遊んだ。家の裏にあるクリ林に囲まれた空き地は親の目も届かない絶好の“隠れ家”。同級生で親せきでもある菅原悦郎さん(63)=千葉県流山市=によると「くい掛け用の木の棒をバットにして与那嶺だ、川上だと暗くなるまでスイングを繰り返した」。

 遊びに夢中になって仕事を忘れることもあった。勉さんは厳しい人柄。「今日は晩ごはん抜きだ。家にも入れない」と玄関の戸を閉められると、母、としのさん=94年11月に死去=が勝手口からそっと勝男さんを招き入れたという。

 中学時代のニックネームは「まめっこ」。身長が155センチ前後だったため、クラスメートが名付けた。柔道部に在籍していたが、目立った成績は残せなかったようだ。卒業アルバムには、胴着姿で胸を張る姿が残されている。

 卒業を迎えると、多くの同級生が集団就職列車で東京や仙台に向かった。勝男さんは、近くに住む知り合いのつてを頼って新宿・四谷の左官職人へ弟子入り。59(昭和34)年の春だった。

 同時期に弟子入りした小、中学時代の同級生、一條成美さん(63)=東京都足立区花畑町=によると「先輩職人も小野田の人がほとんどで、よく故郷の話題で盛り上がった」という。「休みの日はいっしょに映画を見に行った」。

 当時の給料は500円前後。より条件のいい職場を求め、洗濯のりの製造工場を経て60(昭和35)年ごろ、都内の印刷会社に転職した。

 この選択が失踪(しっそう)へとつながるとは当時、だれも想像できなかった。(第一報道部 板垣 英人)