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勇治さんの娘を抱く勝男さん(左から3人目) |
失われた39年間・早坂勝男さん拉致疑惑 第1回
2007年2月20日付
早坂勝男さんが失踪(しっそう)してから今年で39年。原因も理由も足取りも分からず、家族らは長い間、口をつぐんできた。しかし、ここにきて「印刷工」と「にせ札」を関連付ける新たな仮説が浮上。遠く離れた海の向こうにいる同郷者を救おうと、大崎地方を中心に署名運動が拡大している。家族らの思いはただひとつ。「なぜ勝男がいなくなったのか、真実を知りたい」。兄妹や同級生、特定失踪者問題調査会などの証言をもとに取材した。7回シリーズ。
「もしかしたら、うちの勝男もじゃないか」
2003(平成15)年2月−。蓮池薫さんら5人の帰国が実現してから4カ月が経過したある日。1968(昭和43)年4月に消息を絶った宮城県加美(旧小野田)町上野目出身、元印刷工、早坂勝男さん=当時(24)=の兄、勇治さん(69)=千葉県鎌ケ谷市=の脳裏にふと「拉致(らち)」の二文字が浮かんだ。
当時は被害者5人のニュースが報道されない日などなかった。独裁国家の現状が次第に明らかになり、「うちの家族も拉致されたのでは」との問い合わせが警察などに相次いで寄せられていた。
「そのときまでは拉致なんて考えたこともなかった。でも、よく考えたら、理由もなく突然いなくなる弟じゃない。最初はわらにもすがる思いだったけど、最近は確信に変わった」
勇治さんはその年、民間団体の「特定失踪者問題調査会」に連絡し、勝男さんの名前や写真を公開。先の見えない“戦い”が始まった。
勇治さんが勝男さんと最後に会ったのは68年1月1日。東京都内に住む弟の才治さん(66)や、才治さんの妻で勝男さんの小、中学時代の同級生でもある洋子さん(63)とともに千葉県の勇治さんの自宅を訪ねてきた。
豪華な正月料理を囲み、互いに近況を語り合った。兄弟水入らずのひと時。写真には、生まれたばかりの勇治さんの娘を慣れない手つきで抱く勝男さんが写っている。
その約1カ月後、勝男さんは実家に「仕事で親指と人差し指をけがした。2カ月ほど入院するけど、大したことはない」と連絡。勝男さんが生きた証(あかし)を残したのはこれが最後になった。
その年の11月ごろ、勝男さんと墨田区石原付近のアパートで同居していた福島県出身の男性から実家に電話がかかる。
「もう何日も帰っていない。じゃまだから荷物を引き払ってほしい」
勇治さんらは、なにが起こったのかまったく理解できないまま勝男さんの荷物を引き取った。39年にも及ぶ“悪夢”の始まりだった。(第一報道部 板垣 英人)