早坂勝男さん

拉致認定求め署名活動
加美出身の早坂勝男さん
38年間手がかりなし
兄妹ら「早く帰ってきて」

 1968(昭和43)年4月ごろ、東京都内で失踪(しっそう)した宮城県加美(旧小野田)町上野目出身、早坂勝男さん=当時(24)=が北朝鮮に拉致(らち)されていた可能性があることが分かった。早坂さんは当時、印刷会社に勤務していて、家族らは「偽札造りのために連れて行かれたのではないか」とみている。これまでは失踪の理由が分からなかったため表立った捜索活動はしてこなかったが、今後、政府に拉致認定や調査などを求めて署名活動を本格化させる考えだ。

 早坂さんは44(昭和19)年1月22日、農家の7人兄弟の5番目として生まれた。西小野田小、西小野田中を経て15歳のとき上京。東京都台東区の印刷会社に就職した。

 兄で無職、勇治さん(69)=千葉県鎌ケ谷市在住=によると、家族らが失踪の知らせを受けたのは68年秋。早坂さんと同居していた福島県出身の男性から「もう何日も帰っていない。荷物を引き取ってほしい」と連絡を受けた。墨田区のアパートには印鑑や健康保険証、預金通帳などが残されていたという。

 家族や警察が早坂さんの足取りを追ったが、手がかりはなかった。「家族に内緒で転職したのでは」(勇治さん)と思い連絡を待ったが、現在までの38年間、手紙はおろか目撃情報もない。

 早坂さんは印刷会社で約7年間働き、当時主流だったオフセット印刷の熟練工だった。特定失踪者問題調査会によると「昭和30年代から50年代にかけて、東京都や千葉県で分かっているだけで7人の印刷工が行方不明になっている」という。このため、勇治さんは「北朝鮮が偽ドル札を造るために弟を拉致した」とみている。

失踪6年前の早坂さん(中央)。東京競馬場建設工事現場で働いていた信一さん(左端)を兄の才治さん(右端)と訪ねた

 調査会がまとめた特定失踪者リストには早坂さんの名前や写真が掲載されている。これまでは勇治さんが中心となって千葉県内の企業や在京同郷者の会合などで署名活動を展開していたが、「世間に恥をさらしたくない」という家族の思いもあり、故郷の大崎地方では目立った活動はしてこなかった。

 生家にいる兄で会社員、信一さん(70)は「確証がなかったからこれまでは口をつぐんでいたが、両親が死んですでに12年以上が経った。早く無事を確認して天国の両親を安心させてやりたい」と語る。妹で農業、早坂さつよさん(59)=色麻町四釜在住=も「手先が器用でしっかり者だった。早く帰ってきてほしい」と願う。

 署名活動は14日から、加美町職員の有志を対象に実施している。近く、役場庁舎や小野田、宮崎の支所にポスターを掲示して住民にも理解を求める考え。義兄で行政区長、小山巌さん(67)=加美町字原=は「近隣の市町村にも広がってほしい。地方から政府を突き動かしたい」と意気込む。(第1報道部 板垣英人)